days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

坂口安吾「日本文化私観」の注釈的読解について

ちょっと必要があって坂口安吾「日本文化私観」の本文を眺めていたのだけれど、この文章、改めて読むと本当にハイコンテクストで、これに真面目に注釈をつけようとしたらかなり大変なことになる。かつて高校国語「現代文」の教科書に入っていたりしたけれど、これを教材として扱うのは意外と難しい。論理展開の妙を読むという意味では面白い教材かもしれないが、書かれている言葉の一つ一つをきちんと読み取るのは、かなり難しいはず。

 

一例。「僕がまだ学生時代の話であるが、アテネ・フランセでロベール先生の歓迎会があり、テーブルには名札が置かれ席が定まっていて、どういうわけだか僕だけ外国人の間にはさまれ、真正面はコット先生であった。」

 

アテネ・フランセの校友会報『あてね』創刊号(1929年12月)の「消息」欄に「ロベール氏 本年九月よりアテネ・フランセに再び教鞭を取られ、目下専攻科、高等科、初等科、アカデミー科を受持たる」とある。しかし、ロベールの歓迎会についての記述はない。

 

同欄によれば、ほぼ同時期に吉江喬松も着任していて、こちらの歓迎会に相当する校友会「第二回晩餐会」は同年10月25日に開催されている。しかし、安吾の文章は「テーブルスピーチが始った。コット先生が立上った。と、先生の声は沈痛なもので、突然、クレマンソーの追悼演説を始めたのである」と続く。

 

『あてね』の記録によると、この「第二回晩餐会」(10月25日)の出席者リストの中に安吾の名前はある。しかし、クレマンソーが死去するのは1929年11月24日。従って、吉江の着任パーティとは別の機会に(1ヶ月後?)同様のパーティがあったのかもしれないが、その記録は残っていない。

 

こんな感じで、完璧な注釈を施すのは難しい部分も少なくないが、それでもある程度は調べられるように思う。図書館等が機能するようになったら、時間をみつけて注釈に取り組んでみたい。もとより、一人でやるには限界もあるだろうから、小規模のメンバーによる勉強会形式で作業するのがよいのかもしれない。

 

(※Twitterへの投稿2020.3.29を再編集)