days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

20世紀メディア研究所シンポジウム

桜が満開になった神田川を眺めながら都電に揺られ、早稲田大学
開かれたシンポジウム「プランゲ文庫と文学研究の現在」に参加して
きました。



今回のシンポジウムは、岩波から刊行中の『占領期雑誌資料大系 
文学編』の中仕切り、といった感じの会で、午前は編者3人の報告、
午後はゲストスピーカーも迎えて、4人の報告者の話を聞くという
内容。


プランゲ文庫資料を扱うことの重要性と難しさについて再認識する
よい機会になりました。ゲストスピーカーの一人、赤坂真理氏の発言
がこのことをよく言い当てていたように思うので、その大意をメモ
してきます。



「今回の『占領期雑誌資料大系』は、採録されているテクストをただ
通読しているだけでは、これが何の資料なのか、編集意図が分かり
にくい気もしたが、このことこそがGHQによる検閲の本質、すなわち
〈検閲の不可視性〉ということを体現しているのではないか」
(※注、発言そのままを文字に起こしたものではありません。)


とりわけ、事後検閲に移行した後に書き手や編集者に内面化されて
いった検閲コードについて、一つ一つのテクストを解きほぐしながら
考察することの重要性については、編者たちも強調していました。


また、もう一点刺激を受けたのは、プランゲ文庫の中に残されて
いる地方雑誌に関する発表でした。


検閲資料としてプランゲ文庫に収められることによって辛うじて
その存在(の一部)が確認できる、地方雑誌や職域サークル雑誌の
ようなローカルメディアについての考察は、文学研究にとっても
重要であると思います。