days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

父の遺品をかたづけながら

時間を見つけては実家に足を運び、少しずつ父の遺品の整理をしている。その作業の中で出てきた、祖父関係の遺品。祖父が亡くなった後に父がその遺品を整理したときに手元に残したものなのだが、それがさらに孫である私のところに届くというのは、少し不思議な感覚がする。しかも、それが小学生だった私が祖父に宛てて送った年賀状だったりするのだから、なんだかタイムカプセルを開けたような気分になる。


それにしても、小学生の私は低学年から高学年まで一貫して字が汚い(今も汚いけれど)。これを見て、自分の息子に「もっと字をきれいに書きなさい」とは言えなくなってしまった。しかし、この年賀状以上に感慨深かったのは、祖父が書いたという「私の生い立ち」という小文。原稿用紙3枚の裏表にわたって、自分の生涯について記されている。茨城県霞ヶ浦近くの農家出身だったという祖父の生涯については、大まかなことは聞いたことがあるけれど、本人から直接聞いたことはないので、今回初めて知ったことも少なくない。


利根川霞ヶ浦、北浦に囲まれた地域に育った祖父は、どこに行くにも舟を使わなければならない(当然、鉄道などない)出身地は「陸の孤島」であったと記している。「水に囲まれ物を造っても売ることがむつかしい」と考えた祖父は二十五歳で百姓をやめる決意をし、東京に出る。ただし、農家の人手不足を少しでも解消するためにと考え、周囲の勧めに応じて、既に祖母と結婚していた祖父は、結婚したばかりの妻を実家に残して、東京に単身赴任していたそうである。勤め先は「東京中島製作所」だと記されている(このことは今回初めて知った)。


やがて、見かねた曾祖父が若い夫婦が別居していては「夫婦の情がなくなる」から、と手紙を書き送り、祖父の弟が祖母とその子ども(私の伯母)を東京に送り届けたのだという。食料その他を実家から送ってもらいながら、田舎の大家族から離れ、親子三人だけで「ままごとの様」な生活(…と祖母が語ったのだという)をはじめた頃、「大東亜戦」が始まる。「兵隊に行く」ことになった祖父は、中島製作所の工場内で「隊長」となって東京に残り、祖母と伯母、そしてその頃には生まれていた父の三人は、茨城に疎開。その後の、戦争中のことは特に記されていない(そう言えば、祖父からは戦争中の話を聞いたことはほとんどなかった)。


やがて戦争が終わり、妻子との生活を再開した祖父だが、しばらく離れて暮らしていた子どもたち(伯母、父)が「私を他人と思いこんで」「私の許に来な」かった、と祖父は嘆き、続けて次のように記している。


「自分勝手に別々になったのではない 国がそうしたのだ なんて不幸なことだ」


戦争に関して、初めて祖父の生の声を聞いた気がする。もっといろんなことを聞いておくべきだった、と反省させられる。


この後、戦後の苦労について綴られているが、基本的には「女房」は「よく我慢して下さった」という感謝の言葉が続く。そして、その「女房」が自分を残して先立ってしまったことについての悲しみ。そう、この文章が綴られているのは、祖母が亡くなって数ヶ月足らずの月命日なのである。祖父としては、祖母を亡くした「無念」の思いを抱えながら、「出来るだけ思い出を書くことにする」という意味で、この手記を書き起こしたらしい。


そして、一度文章を結んだ後、まだ書き足りないと思ったのか、原稿用紙の裏に追記がある。その最後にあるのは、次のような文章だった。


いづれ私もお前さんの所に行く その時は色々と語ります故に次の世で余り早くお迎には来てはなりません」


こういったあたりには、私のよく知る祖父の人柄があらわれている気がして、少し笑ってしまった。そして、最後にもう一度「唯感謝している」と記されて手記は終わる。


この文章を祖父が書いたのは、私が高校一年生の頃のはず。一緒に生活していた祖父がこんな思いを書き綴っていたとは、まったく知らなかった。そして、祖父のこんな手記を父がずっと手元に残し続けていたことも知らなかった。


戦後の生活苦の中でしばしば祖母に辛く当たったらしい祖父の姿を目にして育った父は、ずっと祖父との折り合いがよくはなかった。派手な喧嘩こそしないものの、面と向かって話すことを避け、いつも間に人を介したコミュニケーションしかしていなかった記憶がある。その父は、祖父のこのような文章をどんな思いで読んだのか。思えば私自身、こんな話を父とする機会はなかった。


何かを話そうと思うとき、何を話したいのか気づいたとき、その相手はもういない。ただ、文字が書き残されることで、話すべきだった「何か」の欠片は残る。文字を書くとはどういうことなのか、ということを改めて感じながら、この夏は遺品整理を続けることになりそうである。


(※FBに投稿した文章を転載)