days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

恩師の訃報

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恩師である十川信介先生が亡くなった。10日ほど前に亡くなっていたのだという知らせを受け取ってから数日が経ったが、いまだ実感がわかない。

そもそも、不肖の弟子たる自分は、こちらからまめに連絡をとっていたわけでもないし、そのような親しいお付き合いをさせてくれるような方でもなかった。 

しかし、それでも自分の中にぽっかりと空いた穴はけっこう大きいような気もする。

 振り返ってみて「楽しい」思い出がたくさんあるわけではない。苦虫をかみつぶしたような先生の顔が思い出されるばかりだ。けれど、いまの自分が曲がりなりにも研究者としてあることは、先生の存在なしには考えられない。

 以下、自分が先生から受け取った(と思っている)ことについて、思いつくままに記しておこうと思う。

 まず何より、学者(大学教員)なんて「偉い」ものでもなんでもないのだ、ということ。これは繰り返しおっしゃっていたように思う。

 とてつもなく「怖い」先生ではあったけれど(思い出すエピソードはいくつもあるけれど、いまは記さない)、偉そうな態度は決してとらない方だった。厳しい言葉の後には必ず、「まあ、頑張りなさい」という言葉が付いていた。

 最後にお目にかかったとき(いま思えば、最後のご著書になった漱石の評伝を執筆されていた時期にあたる)にも、漱石について様々に語って下さったあとに、とにかく考え続け、そしてそのことを書きなさい、とおっしゃっていた。

 研究者であろうとなかろうと、生きることは考えることであり、考えたことはきちんと書き付けなければいけない、というようなお話だったように思う。

 学者だから書くのではないし、仕事だから書くのでもない。しかし、書くことにはそれ自体の意味があるのだし、逆に言えば書くだけの価値のあることを常に考えなさい、ということだったのだと思う。

 学会の場で最後に先生に会ったのは、2010年春の日本近代文学会だった。

 いまの勤務先に着任して間もない時期に研究発表をすることになったのだが、その発表をフロアで聴いて下さった。どんな顔をして聴いてくださったのか、覚えていない(恐ろしくて直視できなかったのだろうと思う)。

 そもそも、着任初年度のバタバタで余裕を持って準備をできなかったこともあって、内容にまとまりがなく、割り当てられた時間を超過してしまうような発表だった。

 懇親会で先生の姿を見つけ、恐る恐る声をかけてみると、渋い顔をしながら「話が長すぎるよ」と一言だけ。

 内容について「ダメだった」「つまらなかった」と言われなかったのは救いと言うべきなのか、箸にも棒にもかからないという意味だったのか、よくわからない。

 それこそ、学生の頃には授業で発表しても、返ってくるのはいつも「それで?」「よくわからんな」というような辛辣なコメントだけだった。「まあ普通だな」というような一言が返ってくるときは、相対的に褒め言葉なのだろうと勝手に受け止めていた。

 しかし、そういう突き放した一言の後には、いつも必ず「まあ、頑張りなさい」の一言が付いていた。2010年の学会のときも同じだったと思う。

 「大事なことは、短く伝わりやすい言葉で」、というのが、先生から受け取った教えの一つなのだろうと、今は思う。

 こんなことを書いていて思い出したことを一つ、ついでに記しておこうと思う。

 先生が学習院大学を退任した直後に刊行した『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊19、2008年)を、私のような者にも送って下さった。学内学会誌に掲載する先生の略歴をまとめた仕事へのお礼も込めて、ということだった。

 学生の頃に受けた文学史の講義を思い出しながら読み進めていると、「あ!」と思う箇所があった(146頁から149頁あたり)。

  

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  そこにまとめられていた内容は、私がかつて先生のご指導のもとで悪戦苦闘しながら書いた修士論文を、その後どうにかまとめ直し、初めて学会誌というものに投稿した論文の内容を踏まえた記述だった。

 そういえば、いつだったか「お前の書いた論文の内容に言及しといたぞ」というようなことをおっしゃっていたけれど、あれはこのことだったのか、と何年も経ってから気づかされたわけである。

 悪戦苦闘した修士論文は、なかなかまとまらず締切ギリギリまで書き続けた結果、いたずらに長く非常に読みにくい代物だったと思う。

 口頭試問の際には先生に「気は済んだか? 書きたいことは全部書いたのか?」と訊かれ、「はい」と答えたら、「論文を書くというのはそういうことじゃない!」と叱られた記憶がある。

 そして、博士後期課程に進学した後、その冗長な修士論文をリライトして投稿したのが、『日本近代文学』に初めて掲載された論文だった。

 その内容が、文庫本にして4頁くらいで的確にまとめられていた。「お前の言いたいことは、要するにこういうことだろう? ならば、もっと平易に短く書きなさい」と叱られているようだった。

 「大事なことは、短く伝わりやすい言葉で」、これからも肝に銘じておこうと思う。

 もっとも、こうしてつらつらと書いてきたこの文章自体が、すでに何とも冗漫な代物でしかないだろう。でも、これがいまの精一杯の言葉ですと言ったら、先生は口を歪めて渋い顔をしながら許してくれるだろうか。

 

本当にありがとうございました。きちんとお礼を伝えきれていないと思うので、こんな文章を書いてみました。