days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

名前について

小学一年生の息子、学校では普通に「ボク」とか「オレ」といった一人称を用いている様子なのですが、どういうわけか自宅で両親と話す場合には一貫して「○○くん」という(保育園の頃からの)愛称を使って自称します。


たまにポロッと「オレは……」「ボクは……」といった言葉も出て来るのですが、すると慌てて決まり悪そうに「○○くんは……」とわざわざ言い直します。


普通は逆なのではないか(自宅で使っている愛称による自称が学校で思わず出てしまって、恥ずかしい思いをしたりするのではないか)と思うのですが、何とも不思議な息子です。


親の前ではもっと小さかった頃のままでいたい、という甘えなのかもしれませんが、もっと自覚的に「キャラ」を演じ分けているのではないか、という気もしていて、ちょっと判断がつきません。


さて、そんな息子は、就寝時にはいつも絵本の読み聞かせを求めるのですが、そんなとき息子はしばしば、登場人物ごとに声色を変えるよう親に向かって指図し、時には抑揚や訛り(?)についてまで「演出」してきます。


なかなか注文が多く、しかもなかなかOKが出ないので時間がかかることこの上ないのですが、こういう行動を見ていると、自称の使い分け(?)も、やはり「キャラ」の使い分けなのだろうか……と考えてしまいます。


また、時には本なしで、即興のおはなしを親子共作でつくったりもします。最近つくってみて、息子が気に入っているのは「名前」にまつわる次のようなお話です。(先にお断りしておくと、本当にくだらないお話です…。)



昔むかし、あるところに「オバアサン」という名前のおじいさんと、「オジイサン」という名前のおばあさんがいました。


村の人たちが「おじいさーん」と呼びかけると、二人はそろって「んー、なんじゃ?」と返事をします。「おばあさーん」と呼びかけても、ふたりそろって「んー、なんじゃ?なんじゃ?」と返事をします。


なんどもなんども返事をしているうちに、いつもふたりはヘトヘトになってしまうのでした。


そんなある日のこと、「オジイサン」という名前のおばあさんが川に洗濯に行くと、あたりが急に暗くなり、神様が姿をあらわしました。


「おい、おじいさん」と神様が呼ぶと、「オジイサン」という名前のおばあさんは「は、はいっ!」と返事をします。次に「おい、おばあさん」と神様が呼ぶと、「オジイサン」という名前のおばあさんは、またままた「は、あは、はいっ!」と返事をします。


何度も何度も神様が同じことをくり返すので、「オジイサン」という名前のおばあさんはヘトヘトになってしまいました。


すると、その様子を見ていた神様は、「どうだ、疲れただろう。困っただろう。どうだ、わしがお前に新しい名前を授けてやろうではないか。そうしたら、もうこんな風に困ることはなくなるぞ」と言いました。


「そうは言っても、いまさら自分の名前を変えるなどというのは、ちょっと困ります」


「えーい、うるさい。面倒くさいからわしの名前をくれてやる。今日からお前は『カミサマ』と名乗りなさい」


「はあ…。」


家に帰ったおばあさんは、おじいさんに事情を説明しました。


なにがなんだかよくわからない話だ、とおじいさんは思いましたが、神様の言うことなのだから受け入れるしかあるまい、ということになりました。


しかし、それからというもの、おじいさんとおばあさんの暮らしは、なんだかギクシャクし始めました。


自分の奥さんのことを村のみんなが「カミサマ」と呼ぶので、なんだか神々しい人といっしょに暮らしているようで落ち着かないのです。


たとえばお茶がほしくなったとき、「おーいカミサマ、お茶を持ってきてくれ!」と言うのはなんだか憚られて、これまでのようには頼めません。


おばあさんの方もみんなに「カミサマ」と呼ばれるようになると、だんだん自分が本当に神様のように神々しい存在であるように思われてきました。


そうしていつの間にか、おじいさんはおばあさんに対して下僕のように振る舞うようになり、おばあさんもそれを当たり前のように感じるようになりました。


いつの間にか二人は、「カミサマ」のように畏れ多いおばあさんと、いつもヘイコラしている「オバアサン」という名前のおじいさん、という二人になっていたのです。


そして、そんなある日のこと。


「おいこら、じいさん。お前は何で『オバアサン』などという、ややこしい名前なのか?」


「へへえ、カミサマ様。何とも申し訳ありません。」


「面倒くさいから、わしが名前を付けてやる。今日からお前は「アホタレ」と名乗れ。」


「へへえ、かしこまりました。」


そうして二人は、偉そうな「カミサマ」とヘイコラしている「アホタレ」として、いつまでも仲良く暮らすようになっていたのでした。


おしまい。