days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

謹賀新年2015


元旦の空(息子撮影@実家付近)


新年明けましておめでとうございます。


昨年までは前厄、本厄、後厄と続きましたが、幸いとてつもない厄災は経験せずに済みました(細かく数え上げればいろいろあったと思いますが、もう忘れたことにします……)。


厄が明ける今年は、これまでよりもう少し研究活動のテンションを上げて行きたいと思っています(…が、果たしてそんな時間を確保できるのか?)


それにしても、前の職場(高校)の卒業生たちから「社会人×年目に突入です」というような年賀状を頂戴すると、さすがに自分の歩みの遅さに思い至って、なんだか凹みます。


……じっさい、教師くらい妬みの虫にとりつかれた存在も珍しい……生徒たちは、年々、川の水のように自分たちを乗りこえ、流れ去って行くのに、その流れの底で、教師だけが、深く埋もれた石のように、いつも取り残されていなければならないのだ。希望は他人に語るものであっても、自分で夢みるものではない。彼等は、自分をぼろ屑のようだと感じ、孤独な自虐趣味におちいるか、さもなければ、他人の無軌道を告発しつづける、疑い深い有徳の士になりはてる。勝手な行動を憎まずにはいられなくなるのだ。……(安部公房砂の女』より)


こんな寂しい「教師」で終わることのないよう、ずっと現役「研究者」でもあり続けよう、という思いを新たにする新年なのでした(無論、「教師」であることを投げ出そうなどとは考えておりませんが)。


文学研究(を含む人文学全般)をめぐる環境は風当たりが強くなる一方だし、現在の職を得ている国立大学の状況も「改革」の名の下に何処へ向かうのかまったくわからない状況が続く。だからこそ、「孤独な自虐趣味におちいる」ことなく、ただの「疑い深い有徳の士」に終わることもなく、なすべきことをなさねばならない、と思っています。


というわけで、本年もどうぞよろしくお願いします。



冬の風景(息子撮影@実家付近の公園)



珍しくサッカーをする息子8歳(ふだんは専らインドア系)