days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

青柳いづみこコンサート「大田黒元雄と『音楽と文学』の仲間たち」

青柳いづみこさんのコンサート「大田黒元雄と「音楽と文学」の
仲間たち」に行ってきました(浜離宮朝日ホール)。


最近、坂口安吾とその周辺におけるサティ(を中心とした近代
フランス音楽)の受容について調べた、という関心の延長です。


大田黒は伝説的な音楽雑誌「音楽と文学」を主催した日本の音楽
評論の草分けで、留学先のロンドンで出会ったドビュッシー
シェーンベルクといった、当時のヨーロッパにおける最先端の
音楽を持ち帰り、それまでドイツ音楽一辺倒だった日本における
西洋音楽受容のありかたに風穴を開けた人物。


その大田黒が所有していたピアノを使って、ドビュッシー
大田黒のサロンに出入りしていて、「上野系(東京音楽学校
すなわち、いまの芸大)」=ドイツ系の音楽とは全く異なる音楽の
創造を在野で試みた、菅原明朗という作曲家の曲などを上演する
というのが今回の演奏会の主眼。


その大田黒のピアノというのは、こちら。
(開演前に写真を撮らせていただいてしまいました)



1900年製のスタインウェイで、寄せ木細工の施された、装飾性の高い
楽器。演奏の合間のMCで青柳さんがおっしゃっていましたが、
これ、実は演奏者にとっては、かなり扱いにくいとのこと。

無論、古い楽器なので音程が安定しないし、過剰に共鳴してしまって
ハレーションを起こす、といったこともあるようですが、
それ以上に、演奏者にとって、「手元が見えない」ことが困る
とのこと。


つまり、ふつうの黒塗りのピアノだったら自分の指の動きが
鏡のように映るので、それで手元を確認することができるのに、
このピアノではそれができないので戸惑う、ということのようです。


最初の方で、「おやおや?」という瞬間が何度かあったのは、
そういうことだったのか、と後でわかりました。


ちなみに青柳さんは「不本意」だったから、と「亜麻色の髪の乙女
を弾きなおしてくれました。そして、会場も暖かい笑いと拍手で
その申し出に応えたのでした。(ちょっと儲けた気分?)


大田黒のピアノで聴くドビュッシー、という試みは、そのような
感じで興味深い経験だったのでしたが、それ以上の興味深かった
のは、菅原明朗の楽曲。


管弦楽曲は聴いたことがあったのですが、ピアノ曲や声楽曲は
初めて聴きました。そして、これがなかなかよいのです。


青柳さんも弾きこんでみるとけっこう「病みつきになる」と
おっしゃっていましたが、たしかにその通りという感じです。


1930年代に「月刊楽譜」「音楽世界」といった音楽評論誌の
付録として残っていた譜面を使用したとのことですが、
(当時、菅原のような新進作曲家にとって、こうした雑誌の
付録楽譜というのは貴重な作品発表媒体だったはずです)
菅原に限らず当時の若き作曲家たちの小品というのは、こうした
メディアの中にたくさん眠っていることでしょう。


当時の管弦楽曲に関しては、近年ナクソスから「日本作曲家選輯
というシリーズが出ていますが、ピアノや声楽のために書かれた
小品の類も、まとめて聴けるようなシリーズがあればなあ、と
思いました。


菅原をはじめとした、1930年代の作曲家たちの仕事というのは、
冷淡な言い方をすれば、ドビュッシーその他の模倣(パクリ)
ということで片づけられてしまうのかもしれませんが、この時期
(本格的なフランス音楽の導入から10年前後で、ヨーロッパとの
時差もそれほど存在しない時期)に、これほどの精度の音楽が
書かれていた、ということは、もっと知られてよいように思い
ます(しかも、個々の曲は今聴いても、十分楽しめます)。


1930年代の日本の作曲シーンを通観できるピアノ小品集のような
録音があればいいのになー。