days of thousand leaves

文学研究者のひとりごと

文学研究のクロニクルとシステム

日本近代文学会2012年度11月例会は「文学研究というシステム」に関する特集。冒頭で司会席から、この学会の動向=歴史について語られた後、三人の方による発表、そして討議。


文学研究(を含む人文学全般を扱う教育機関)は、それをとりまく〈経済〉の論理から離れていかに自律しうるか、といった話や、「日本近代文学」という領土を自明視せず、〈内〉と〈外〉とを貫く回路を保持しながら、研究主体のポジショナリティを自覚せよ、といった話の内容それ自体は、いずれも大事な指摘であり、特に大きな違和感を覚えることはなかった。


ただ、総じて話が「文学」の価値、「人文学」の価値、といった方向で展開し、「文学(を)研究(すること)」の価値について、というような話にはならなかったところに、今回のテーマが抱える難しさがあったように思う。


このことは、3・11以後の問題をどう考えるのか、という議論がなされるときに、人文学の中でも、哲学・思想、社会学歴史学といった領域の人たちが発信者として呼び出されることが目立ったのに対して、文学研究の立場からの発信が求められることが少ない(皆無ではないけれど)、ということとも連動している。


こうした局面で発信を求められているのは(そして、求められるまでもなく発信しているのは)小説家であり詩人だった。つまり、こうした時にこそ「文学」の〈価値〉が一定程度の信頼と期待が寄せられたのは確かだったと思う。


一方、前にもこのブログで少し書いたことだけれど、たぶん文学研究者にできることは、ダイレクトに〈社会〉について論評したり提言をすることではない。


文学研究者にできることとは、ある現状について考える上で示唆を与えてくれるような〈価値〉ある〈文学〉作品を、過去のストックの中から引き出してくることなのだろうと思う。


しかも、文学の言葉はそんなに単純ではないから、そこにどのような〈価値〉が宿るのか、ということを丁寧に解きほぐして見せることが必要であり、それをなすのが文学研究者の仕事ということになる。


…しかし、会場の議論そのものは、こういうことを問題にしていたわけでもなく、少し話が拡散したまま時間切れになった印象だった。


むしろ、例会終了後の慰労会で話題になっていたことの一つは、最初に提示された学会クロニクル(?)の是非について、だった。


先行世代の研究者に言わせると、ああいったクロニクルの提示は、まさに歴史の捏造としか思えない、という。


たしかに、ある論集が刊行されるまでには、それに先立つ5年、10年単位での研究会活動のような蓄積がある。それを、本が出たタイミングだけで分節化し、歴史化されてしまうことには違和感があるし、当事者として憤りを覚える、という意見にはごもっとも、とも思う。


しかし、大学や研究会などで、そのような研究の〈先端〉に位置どりしている研究者から直接教えを受けるような機会に恵まれず、その成果を後から活字で読むしかない(あるいは、読んでさえいないのかもしれない)後発世代の〈若手〉研究者(…になろうとしている人)にとっては、今回示されたようなクロニクルには、特に違和感を覚えないのではないか。


学会クロニクルの提示が歴史の捏造なのだとしても、そのような歴史=物語を所与の前提とし、その中での一定のやり方(方法論、対象選択の戦略などなど)を〈お約束〉として認識し、学界(学会?)新規参入しようとする人たちが現実にいるのなら、そこには確かにネガティヴな意味での「システム」がある。


本当は、方法論や対象の選択は、決して〈自由〉には成し得ず(どれにしようかな? なんていうような呑気な話ではない)、それを「選ばされている」という感覚をこそ、持つべきだろうと思う。


あるいは、何らかの選択をなすことが、何を排除したことになるのか(何を「論じない」ことによって、自らの議論が成立しているのか)ということを深刻に自覚する必要があるのかもしれない。


文学研究のクロニクル、文学研究のシステムなんて嘘っぱちだ、ということが共有されるためには、まず「そんなの嘘っぱちだ」と言い募る先行者が、クロニクル/システム(を自明視する人)の存在について、ただ憤るだけではなく、そのようなものの存在を信じる側の思考を一度は引き受けた上で、それをパフォーマティヴに解体していくような形での対話が必要なのではないだろうか。


むろん自分(たちの世代)も、もういい加減〈若手〉ではないのだろうから(…慰労会の席では、冗談で「自分は〈若手〉だ」と言い張ったけれど[笑])、こういうパフォーマンスを自分の側がしなきゃいけないのかな、などとも思ったりする(これは、査読の仕事などに関わると、なおいっそう痛感することでもある)。


何はともあれ、運営委員としてこの学会に関わるのも、とりあえず今回でおしまい。

たまたまではあるけれど、3・11以後の2年間の学会を、運営側から経験したことは、自分にとっても考えさせられることが多かったなあ、と思う(考えているばかりだったかもしれない、とも思うけれど)。